食生活と身体の退化
〜未開人の食事と近代食・その影響の比較研究〜

W. A. プライス著、片山恒夫訳

第6章 北米インディアン:孤立した住民と近代化した住民(後半)


爽やかな気候に恵まれたバンクーバー島は、太平洋岸にある居住地としてはもっとも快適な場所の一つである。この島のビクトリア市近郊にあるクレイグフラワーインディアン保留地を調査することに特に興味をもった。実はビクトリア市は、以前あったクレイグフラワー保留地を町の一部にとり込んでつくられたものである。そこで当然、インディアンのための新しい保留地が必要となり、近くに各家族の家を無償で建て、代替地を別に用意するという提案に従って、両者の協定が成立したわけである。家のほかに、割当分の土地と、記録によれば1万ドルが家族に支給された。これによってインディアンはひじょうに近代化され、その結果、多くの人が自動車やその他の近代化社会特有の賛沢品を所有するようになったのである。注目したいのは欲しいと思う食物は何でも手に入れることができるような財力によってもたらされた賛沢三昧が、身体にどのような影響を与えたか、という点であった。この保留地のインディアンは、身近に熟練した歯科医の治療を受けることもできたし、歯の予防に関する実習も受けていた。しかし、それにもかかわらず、検査した歯の48.5%が虫歯だった。そして調査の対象となった人は1人残らず虫歯にかかっていた。後でみるように、太平洋岸に住むインディアンは元来、主として海で獲れる食料を糧とするものであったし、海産物は今も昔と同様豊富にあるにちがいない。しかし、現在では、その魚も市場に行けば缶詰の魚が容易に買えることから、よほど必要に迫られないかぎり、魚を捕りに行くことはない。たいていの現代人のように、この保留地のインディアンは精白小麦粉を使った食品や、甘味の強い食品や菓子を食べていた。

ケチカンは太平洋岸にあって特に多種の鯨類など種類も数も豊富な海の幸に恵まれた代表的な町である。この町は島のなかでも景色のよい所にあり、アラスカの最南端にある町である。このあたりの北太平洋で豊富に捕れる魚にはわかさぎに似た食用魚、ウーラチャンがある。小さな魚ではあるが、油分に富み、ローソクのように火をともせるというところから、別名キャンドル・フィッシュとも呼ばれている。この油は大量に絞られ、海産物を調理するときに使われる。また内陸に住むインディアンの毛皮などと交換されたりもする。ケチカンにあるインディアン部落に住む人の歯を調査した結果、全体で46.6%の歯が虫歯になっていた。そして、多くの家庭には結核や痛風を患らっている者がいた。1人あるいはそれ以上の子どもを結核で失くしたという家庭もかなりあった。

アラスカの州庁所在地ジュノーでは2つの集団を調査した。一つはアメリカ政府の連邦病院の患者たち、もう一つはインディアン居留地の住人たちであった。病院にはインディアンとエスキモーの両方がいたが、おもにインディアンが多かった。患者の75%は結核による入院だそうだが、事故やその他の理由で入院している者もやはり結核にかかっているとのことだった。入院患者のうちおよそ5割が21歳以下の若者たちであった。また歯の状態も悪く、調査した歯の39.1%が虫歯だった。

インディアン居留地では、年輩者の集団を探すことができたが、虫歯になっている者は1人もおらず歯は歯列弓に正しく並んだ完壁な状態にあった。しかし、主として近代食を常食にしている近代的なインディアンの歯を調べると、全体の40%が虫歯にかかっていたのである。

アラスカの以前の州庁所在地シトカでも2つの重要な集団を調査した。ここには、エスキモーの人たちやインディアンの少年少女のために創設されたシェルドン・ジャクソン・スクールがあった。といっても実際は、インディアンの子どもたちが大部分だった。生徒たちの出身地はアラスカ全土の広範な地域にわたっており、彼らは教育という特権を受けるに足るだけの立派な身体の持ち主である。当然のことながら生徒のほとんどが近代化の進んだ地域の出身者であった。この生徒たちの歯は53.7%がすでに虫歯にかかっていた。この数字は、生徒たちの出身地である近代化した地域で、人々の歯がどういう状態にあるかを暗示するものであろう。

シトカのインディアン保留地ではいろいろな年齢層の人を調べたが、虫歯の罹患率は35.6%であった。例外的に容色の劣えを見せない70歳になる土着のインディアンに会えたが、彼の出身地は他の人と違っていた。彼が以前食べていたものは主として魚、魚の卵、海草、鹿肉だったという。彼の歯はまったくすばらしいもので、今まで一度も虫歯にかかったことはないのであった。文明のどの時代どの段階にあっても変わることなく太平洋沿岸に住む人間たちに等しく与えられてきたはずの自然食品が、いったいどのような人間を造り出すのか、彼こそそのすばらしい証人なのである。

シトカに住むある医師は、いろいろの店屋にたくさんの品物が集められ、好きな食物を誰もが手軽に購入できるようになったとき、原地インディアンたちが、海へ新鮮な魚を捕りに行く従来の生活をどう考えるようになったか、という貴重な情報を提供してくれた。彼らは、近代食が導入される以前のように、季節を問わず、いつでも埠頭に行って魚を捕ったり、囲い込んでおくこともできたのだが、ここのインディアンたちは白人のようでありたい、同じような生活をしたいという絶えざる願望をもっていた。彼らは店屋の食料品を買うことは一種の栄誉であり、自分たちの食べる物をあさりまわるのは恥ずべきことだと考えるようになったのである。そんなわけで、たちまち精白小麦粉、砂糖、ジャム、野菜の缶詰などへの依存が強まった。もしこれらの食品が買えない場合にも、従来食べてきた食糧を自分たちで探すというより、むしろ政府や慈善団体に支給を頼む方を選ぶ者が多い。この医師の話では、シトカにはおよそ800人の白人と400人のインディアンが住んでいるが、インディアン人口は白人の半分にすぎないのに、出生児の数はインディアンの方が白人の2倍になっている。しかし6歳になる頃までには、白人の子どもの方がインディアンやインディアンとの混血児よりも逆に多くなるのである。これは小児の死亡率が高いことがおもな原因であり、それも結核によるものがほとんどだとその医師は言う。健康状態が目立って劣化するのを記録するには10年単位の時間が必要だが、両親の健康状態が悪化すればこのスピードはもっと速まるに違いない。両親の欠陥がそのまま子どもに受け継がれることはないが、食事の欠陥によって生じた母親の身体的欠陥は生まれる前の子どもに障害をもたらすようである。そしてこのような栄養障害の有無が、乳児期や幼児期の不完全な食事と併さって、子どもの健康を衰えさせるか、あるいは身体の正常な免疫性が後になって現われる様々な病気に対する十分な抵抗力となるかを、生涯にわたって決定づけることだろう。

シトカは太平洋岸のほとんどどの地域の白人たちとも接触してきた長い歴史をもつ町である。アメリカの太平洋沿岸にある地域がまだ町として確立していない時分から、ここは海港として有名だった。そして、対ロシア貿易における造船業の中心地であったことはひじょうに興味深いことである。シトカにおける鋳造業の発展ぶりはたいへんなもので、カリフォルニアの古い修道院の鐘が、この町でロシア人の手によって鋳造されたほどである。ここの大聖堂に代表されるように、初期のロシア建築の最高の傑作もいくつか現存している。

アンカレッジは西アラスカの中心都市である。フェアバンクスまで北へ伸びている鉄道の基地であるばかりでなく、アラスカの各地域を飛び回る飛行機の運行に携わる航空会社の基地でもあるからである。したがって、この町は小売業の盛んな海岸都市の性格と、内陸部の旅行用商品のための卸売業の中心地としての性格をあわせもっているといえよう。立派な連邦病院もある。この病院の設立は、多くの人がアラスカ中でもっとも愛されている人だと口をそろえていう、ある人物の生涯にわたる努力の結果であろう。当の人物とは、J・ローミッグ博士その人である。彼は36年以上の長きにわたって、エスキモーやインディアンの中で、未開人と文明人の区別を超えて医療に携わってきた、ひじょうに優秀な外科医である。住民と接触するに際して、私が彼から得た知識や情報、それに援助は測り知れないものがある。たとえば、アンカレッジの町に住んで近代的な生活を送っている典型的なインディアンの、いろいろな家庭に連れて行ってくれたのも、彼であった。そのなかのある家庭には、クック入江の北岸から娘のところへやって来た63歳のおばあさんがいたが、彼女の歯は1本抜けているだけで、虫歯はまったくなかった。彼女について来た息子は24歳だったが、彼も以前虫歯にかかったことのある歯が1本あるだけだった。彼らの主食はオオジカや鹿の肉、鮮魚や干物、それにわずかばかりの野菜であり、時に、つるこけももを食べるぐらいのことであった。息子の方は最近、近代食品をいくらか食べ出していた。一方娘は29歳で、白人と結婚し8人の子どもをもうけた。彼女とその家族は完全に近代的な食生活をしている。彼女は32本中21本が虫歯にやられていた。食事のおもな献立では、精白パン、シロップ、じゃがいもであった。私たちがこの家族で診察した子どもは5歳から12歳までの子だったが、このように年齢の低い子どもが多くいるにもかかわらず、家族全員では37%の歯が虫歯にかかっていた。この家の母親は図18(左上)に写っている。重要なのは彼らの虫歯が猖獗性のものであるばかりでなく、子どもたちの場合には歯列弓の歪みや歯列の不揃いが際立ってみられるということである。

ローミッグ博士が提供してくれたひじょうに興味深い数多くの情報の中には、近代化の進行ということが今日の退化過程と深く相関しているのではないかという最近の考え方にうまく照応する事実も示されている。博士が述べるところによると、36年間の医療生活において、本当に未開だといえるエスキモーやインディアンのなかには、近代化されるとしばしば起こるとはいえ、悪性の病気にかかったという例は一つもなかったという。それとよく似た事柄として、胆のう、腎臓、胃、虫垂などの内臓の手術を必要とする急性の外科的な病気も、未開地では起こらないのに、近代的な生活を送っているエスキモーやインディアンの間ではごく普通のことになっているという事実も指摘した。近代的なエスキモーやインディアンでは多数のものが結核にやられており、この病気は、患者が近代的な生活条件のもとにとどまっているかぎりどんどん進行し、ついには死に至らしめるという経験的事実をふまえて、博士は、可能な場合には、患者たちに未開の生活条件や食事に戻らせる措置をとっているのである。こうした方が、近代的な生活条件の下で過ごすより、死亡率が一段と低くなるのである。事実、生活様式や栄養摂取の様式を原始的形態に変えることで、この病気に苦しむひじょうに多くの患者が治癒していったと、博士は報告している。

孤児の世話をしたりエスキモーやインディアンの少年少女を教育したりするために設けられた施設は、その子どもたちの健康状態を研究する好条件を提供してくれる。とくにすばらしい施設がアンカレッジの北、鉄道の走る町エクルトナにある。生徒の多くは孤立しているため、ほとんどその土地で採れるものを食べて生活せざるをえないほど輸送機関から遠く離れた地域の出身者で、少なくとも小さい子どもの頃にはこういう場所で育ったわけである。彼らの出身地は広くアラスカ半島の全域にわたっている。この学校の評判は、冬期用に干し鮭を加工し、保存していることに根ざしている。そして、ここでのすぐれた食事の献立がすばらしい効果をあげているのは明白である。子どもたちの虫歯は全体の14.6%である。生徒のほとんどが未開のエスキモーあるいはインディアンと白人との混血だった。たぶん白人の親が、子どもをこの訓練学校に入学させたにちがいない。混血児童の他に、生まれてからずっと近代的な食生活に親しんできたような近代化した地域出身の、生粋のエスキモーやインディアンも数人いた。こうした事情は、栄養の摂り方の相違が、顔つきや歯並びの変形や不揃いにどう影響するのか、また、上下の歯列弓の相互関係をどのように変えるのか、こういったことを研究するのに好都合であった。上記のような典型的な不整や偏異の生じる割合は、純粋のエスキモーやインディアンの子どもたちの場合でも、混血の場合と同じように高かったのである。混血のなかでも親の代に混血した数人の若者はきれいな顔だちをしていた。

もう一つの重要な集団が研究されたが、それは、セワードという町にあるジェシー・リー・ホームと呼ばれる施設にいた人々のグループだった。この施設は最初ノームに設置されたが、そこはあまりにも孤立した地域であったため、その地を捨ててセワードの町に移されたものである。この施設は、世界でももっとも景色の美しい湾の一つにはいるレザレクション湾にある。それは、広大なアラスカの各地、とりわけアリューシャン半島、アリューシャン列島、ベーリング海峡を出身地とする、主として混血のエスキモーやインディアンたちのための避難所や教育施設となっている。混血か否かの別なく、ここにいる人は、大部分が近代化してしまった自らの故郷を去って当地へやってきた人がほとんどである。ここで診察した全体の27.5%の歯が、虫歯にかかっていることがわかった。ここでもホームの住人全員が虫歯にやられていたのである。めったに見られないような最良の衛生条件の下にあり、この施設には専任の優秀な栄養士や病室、専門看護婦をそなえているにもかかわらず、結核による深刻な犠牲者が出ている。ノームからこの地へ学校とともに移ってきた生徒の60%がすでに結核で死んだといわれている。この結核が、太平洋岸の町や村に住むインディアンやエスキモーの死亡率に多大の影響を与えているということは常識になっている。私たちの調査研究の重要な目的は、感染を防ぐ諸要因が遺伝されにくくなるにつれ、結核の感染率が急速に高まるといったぐあいに、病気に対する個人の抵抗力が弱化しているのには、栄養というものが重要な役割を演じているのだという新しい考え方を発展させることにある。

人種や種族の発展には特殊な環境要因が影響を与えているのではないだろうか。現存している未開種族を研究すれば、比較的簡単に答えもでるのだが、過去に生存し、そして死滅していった集団となると、物理的に推量する手段はそんな単純にはない。しかし幸運にも、私たちには彼らの遺骨のみならず彼らが日常使っていた多くの道具類が墓地に残されている。時には食物の標本も見つかるであろう。陶器類や狩猟に使った道具も見つかることがある。それがいつの時代のものであるかを明確に記録したものはないとしてもその種族の陶器製造の歴史がわかれば、埋葬の方法から知るのと同じようにして、その時代の暮らしぶりを推し測る重要な手がかりが得られる。キリスト教の入る以前の墓であれば、多くの場合、遺体は腕を膝にまわして、身体全体を丸く曲げた状態で埋葬されている。これに反してキリスト教時代になると、平らに寝た状態で胸の上に手を合わせている。この違いから、コロンブスによって新大陸が発見される以前の墓か、それともそれ以降のものかはすぐに見分けがつくわけである。

このようなことを手がかりにしながら、コロンブス以前のインディアンと同じ地域に現在なお生存している人たちとを比較することによって、フロリダインディアンの歴史的研究も可能になる。つづいて、以下に述べる3つの集団の比較対照を通して、フロリダインディアンの虫歯の問題、顔と歯列弓の形状の問題を考えることにしよう。この3つのグループとは、まず最初に、博物館に収集された骨の研究から明らかになったコロンブス以前のインディアン、次に、フロリダ州南部のエバーグレーズやサイプレス・スワンプにみられるようなまったく孤立した地域に住んでいるインディアン、第三に、近代文明の生み出した食品に接した生活をしている上と同じ種族のインディアン、である。最後の集団は、タミアミ道路沿いの、マイアミ近郊に住んでいる。南フロリダ半島の墓地から発掘された数百にのぼる骨を検討すると、その鬼大な数にもかかわらず、虫歯に冒された歯はたったの1本さえ見つからなかったので、ほぼ100%に近い免疫性をもつほど虫歯の罹患率は低いものであったといえる。栄養の不調による歯列弓の歪みや顔の典型的な変形といった例もまったくみられなかった。そして、どの歯列弓もみな、正常な部類に入る形状と歯並びをしていた。図22と23がそれである。


図22 大自然の与えた正常な形状をもったすばらしい歯列弓の典型例である未開インディアンの頭蓋骨。われわれ近代文明人では、その位置や歯質に障害のあることが多い第三大臼歯が、すばらしい位置にあるのを注目してほしい。私が未開インディアンや過去の多くの頭蓋骨を調べた地域では、100%に近い歯が、虫歯や歯列不正とは無縁であった。


図23 アメリカやカナダの多くの地域で見つかったインディアンの頭蓋骨は、この写真が示すように優秀なものであった。これらの優秀性は彼らには一般的ではあるが、我々にはそういうわけにはいかない。ただこの者たちの両親は、自分や子どもに何を食べさせるべきかを知っていたのだ。

サイプレス・スワンプの奥深くにあって孤立した生活を送る村人たちを訪れるには、やや複雑な問題が横たわっている。それは、彼らが以前、白人と条約を結んだ際に白人にこっぴどく利用されたという思いがあって、それから白人に対する恐怖心を抱くに至ったという事情によるものである。私には3人のガイドがついてくれた。一人はこの集団の一員であるインディアン、もう一人は彼らが信頼している白人で、最後の一人は病人が出た場合いろいろ手助けをしていた政府から派遣された看護婦である。この人たちのおかげでこちらの望んでいる測定、記録、写真撮影も可能になった。図24にはここの未開人の代表ともいえる数人が示されている。彼らの狩猟区は白人のハンターによってずいぶんと侵略されてしまったが、それでもなお、剛健な身体と虫歯に対する免疫はしっかりと保持せられているのである。100歯につきわずか4歯という虫歯の罹患率であった。

実際、歯列弓の形状はすべて、顔に歪みがあっても、それはまったく影響を受けておらずきわめて正常なものであった。これに対して、近代文明と接触して生活しているフロリダインディアンの方は、何とも痛ましいかぎりの様相を呈している。こちらでは、検査した歯の40%が虫歯にやられていた。典型的な例を図25に示しておいた。一番若い世代においては、歯列弓に歯の叢生や顔幅の狭化をともなう典型的な変形がみられる。この状態は、身体の形成期や成長期の栄養摂取が十分うまくいっていなかった場合に、どの人種においてもみられるものである。この代表例が図26に示してある。

墓地から発掘した骨が、驚くほど立派な身体の発育を物語っており、しかも、関節障害が見られないということは、まことに興味深い。これと対照的に、近代化した集団の人々には、関節炎による骨の奇形が進行していた。

コロンブス以前のインディアンたちのすばらしい栄養摂取がもたらしたものは、その頭蓋骨が比較的分厚いことをみれば明らかである。図27(右)には、近代人とは対照的なコロンブス以前の頭蓋骨の2つの骨片が示されている。明らかに、冠状鋸で手術した下あごの標本は、外科の知識が特筆すべきほど発達していたことを物語るものである。そのまわりには新しい骨の成長がみられる。それは胞嚢切開手術だった。

私たちは北米西部の高地で現在も暮らしているインディアン集団を研究するために、ニューメキシコ州のアルブケルケを訪れた。

他のインディアンについても、現に生存している集団や、最近発掘された墓地や博物館のコレクションなどを通して研究をしたのだが、これらの事例のすべてが本書に述べられている研究結果の記録と合致するものであった。私の研究は、ここのいろいろな施設の責任者やスタッフの方々の援助に深く負っている。

未開のインディアンたちが生活している場の物質的、気候的条件は各地各様であるにもかかわらず、その土地でとれる原地食を常食としているところでは、虫歯はほとんどゼロに近いのが普通だった。それに反して近代的な生活を送っているインディアンの場合は、虫歯の罹患率が常に高いということであった。各地のパーセンテージは以下のとおりである。未開インディアンの場合---ペリーマウンティン0.16%、ジュノー0.00%、フロリダのコロンブス以前のインディアン0.00%、フロリダセミノール4.0%。


図24 白人の文明に接するにはあまりにも遠く離れた南フロリダに今もなお住んでいるセミノールインディアンは、典型的ともいえるすばらしい歯と歯列弓をもっている。彼らは、エバーグレードの森に住み、現在もその土地で採れる食物を食べている。


図25 近代文明とその食品に接して生活しているフロリダのセミノールインディアンは、猖獗性の虫歯にかかっている。


図26 これもセミノールインディアンである。この近代化した集団の子どもたちの顔や歯列弓が変形している点に注意してほしい。鼻孔の狭まった顔面骨と、歯の叢生をともなった歯列弓は著しく未発育である。彼らの顔は、多くの人が自分たちにも共通しているため当然だと思いがちな、あの虫歯に踏み荒らされている。


図27 左はフロリダにかって住んでいたコロンブス到来以前の時代のインディアンの頭蓋骨が、近代人のそれよりも一段と分厚いことを示す例である。右は昔のフロリダインディアンが行なった骨の手術を例示したものである。下顎嚢腫を冠状鋸で切開した部位の周辺が癒着している状態に注意してほしい。これはペルーのインディアンたちの外科手術が優秀であることを典型的に物語るものである。

近代化したインディアンの場合---テレグラフリーク25.5%、アラスカフロンティア40.0%、モホーク職業訓練所17%、ブラントフォード保留地学校28.5%、グラントフォード保留地病院23.2%、ツスカローラ保留地38.0%、ウィニペグ湖保留地39.1%、北バンクーバー保留地36.9%、クレイグフラワーインディアン保留地48.5%、ケチカン46.6%、ジュノー病院39.1%、シェルドンジャクソン校53.7%、シトカ35.6%、エクルトナ14.6%、シイクードのジェシー・リー・ホーム27.6%、フロリダセミノール40%。

未開人が食用としている食物は、地域や気候によって様々である。他方、近代集団の食物は例外なく典型的な、白人の食べる市販食品である。

未開集団では、その種族特有の形のよい顔や歯列弓が常に見られたが、近代人の食べ物を常食するようになった後では、子どもの代になって顔や歯列弓の形に著しい変化が観察された。

私が調べた多くの未開種族と同様にインディアンも、自分たちの身体の退化が、なにがしかは白人文化との接触によって引き起こされているという事実に気づいている。アメリカインディアンが白人文明を嫌うことは、多くの論者が強調してきたところであった。フロリダのセミノールインディアンを研究した際にも、エバーグレーズやサイプレス・スワンプの奥深くで孤立した生活を送っているセミノール族とは、コミュニケーションをもつことも検査をすることも容易ではなかった。しかし前にも書いたように私には、彼らと同種族のインディアンのガイド、連中の病気の世話をしている政府からの派遣看護婦、それに彼らとひじょうに親密になっており、しかもみなが信頼を寄せている1人の白人、これら有能な人たちの助けがあった。彼らのおかげで、私は詳細な研究を行なうことができたのである。しかし、興味深いことには私たちが森の茂みにある小さな村に到着するたびに、そこは、もぬけのカラであった。インディアンのガイドは、周囲の灌木の茂みの中に入って行っては、出てくればきっといいことがあるぞ、とそこの人々に呼びかけるのだった。そして彼らも最後には姿を見せてくれたのだ。彼らのこうした態度は、白人が約束を踏みにじってきたという、彼らなりの信念から生まれてきたということだ。この孤立したセミノールインディアンの女たちは、いっさい白人には背を向けるという噂も聞いた。

「合衆国新聞報(United States Press report)(1)」はあるアメリカの新聞のレポートとして、「『飽満(あきあき)した』種族たち、孤独がほしい、インディアン文明嫌い、白人御免の国よこせ」という見出しの記事を載せている。この記事は、こんなふうに続いている。

インディアン総務局は、今日の発表でオクラホマ在住のインディアン5種族が、白人の文明に「あきあき」し、新しい人里離れた土地を欲していることを明らかにした。役人の話によると、オクラホマに住む10万人のインディアンの間で、こうした不満が広まり、そのために、先祖と同じようにインディアンたちに狩猟や魚の捕獲ができるような新しい土地を提供する可能性について、本格的な研究がなされつつあるという。この不満はインディアン人口の増大、居留地の減少、それに不満足な経済状態の結果として、ずっと以前から続いてきているものである。公式に担当部局の役人の注意を促したのは数日前のことで、オクラホマのハンナ出身のクリークインディアンであるジャック・ゴージを代表とする交渉団が、オクラホマのインディアンは白人の文明から離れた所に、種族のために新しい土地を望んでいると、ジョン・コリア長官に申し入れをしたのである。

彼の仲間たちは、白人とその影響から免れたいと切望しているため、およそ1000人のインディアンを組織し、この要求を貫徹させることにしたと、ジャック・ゴージは述べた。それは、クリーク、チョクトー、チェロキー、チカソーという「近代種族」の4集団を代表する「4人の母親」として知られているものである。

近代種族の5番目にあげられる、オクラホマのセミノール族は、種族の土地を要求してメキシコ政府と交渉中だという。

これらの種族は、東海岸沿いの固有の領土で、高度に進んだ文化をもっていたという理由から、「文明化した」種族とみなされているのである。この東海岸の価値がアメリカの中で高まってくるにつれて、現在オクラホマと呼ばれているこの地域へインディアンたちは移動させられたのである。ところが今世紀に入って、このオクラホマで油田が発見されると、この新しい保留地も破壊されることとなった。そこで、インディアンたちの共に残っていたいという願いにもかかわらず、むりやり、小さな地域へと別々に移動させられたのである。インディアン局の役人も、こうした白人の側の「裏切り」に対する彼らの不満を隠そうとはしていない。ある役人は、およそ300ほどの協定がインディアンとの間でとりかわされたが、そのどれ一つをとっても守られたものはなかったと指摘した。
もっとも願わしいのは、科学や人間の福祉という関心から、様々の種族のなかで蓄積されてきた知恵にもとづいて、インディアンたちが生活できるような計画が実施されることである。孤立したところにある保留地こそが彼らの文化を守りうるのである。今日の白人にとって最大の遺産は、人類がもたらした積年の知恵なのである。

引用文献


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