「7月1日へのプレリュード
〜香港返還直前事情」
平賀緑 著
『月刊東アジアレビュー』東アジア総合研究所。1997年1月号
平賀緑の原稿集
第三世界ジャーナリストを目指す

英語で出版されたもの
広島原爆投下50周年によせて

Full story


香港の日本軍占領跡を訪れた日本人たち

Full story


中国移民に大きな障壁の香港教育制度

Full story


希望と正義を歌うフィリピンの活動家たち

Full story


日本語で出版されたもの
7月1日へのプレリュード: 香港返還直前事情

私たちは商品じゃない: 香港の外国人家事労働者の苦しみと闘い

香港英字新聞記者一年生

経歴


<カウント・ダウン香港>

 パッテン総督、ラベンダー夫人、毛沢東に近衛兵・・・
 思い思いに変装した客が「植民地の黄昏」パーティーに集まった。時は1996年6月29日、香港返還一年前の夜をビクトリア・ハーバーに浮かぶスターフェリーで祝おうというもの。参加者の多くは香港で働く外国人だった。
 陽気にドンチャン騒ぎを始める“鬼老(グワイロウ:広東語で外国人を指す俗称)”。その片隅で水兵として働く黄さんに話しかけた。外国人があんな騒ぎかたをして、香港に住む住人として腹立たしくないのか、と。
 「いいじゃないか。外国人は気ままに楽しんで。香港から逃げる人はさっさと移民してしまった。オレ?オレはどうしようもないさ。金がないからどこにもいけないよ。」黄さんは笑っていう。
 以前は仕立て屋として手に職を持った仕事をしていたという黄さん。しかし、香港が経済発展し中国が開放政策を始めた80年代から主な製造業はほとんど中国大陸に移ってしまった。工場で働いていた中年労働者は無職のまま取り残され、黄さんも40半ばにしてセーラーの制服に身を包みなれない水兵を始めたという。
 「返還もどうってことない。中国が来ても仕事さえあれば気にしないさ。」
 イギリス植民地から共産党中国の主権下に返還されたら香港はどうなるのか、日本から訪れた客は決まって尋ねる。確かに香港社会で変化は起っている。しかし、普段からごうごうと音を立てるかのような速さで社会が変わっていく香港では、現在起きている変化の全てが返還によるものなのかは疑問だ。
 ちょうど返還一年前の地元英字紙ホンコンスタンダードに掲載された一こま漫画に、香港で生活する私としては共感を覚えた。カメラやマイクを構えた外国人記者団が大挙して幼子を連れた香港人に群がる。「一年後の今日、あなたは何をしていると思いますか?」記者団の迫力の前に小さく描かれた香港人は答えて曰く「あなたたちの同じ質問に答えていると思うわ。」
 私自身、香港返還を恐れないか多くの友人に聞いてきた。「ネイ、ケーン・ム・ケーン・ガオチャッ?(97年が恐くない?)」と聞くたび「ホオ・ケーン(恐い)」と答える人と「ム・ケーン(恐くない)」と答える人とに別れるが、どちらにしても調子は軽い。
 返還を心配する人は理由として共産党政権の支配下に入ることや人民解放軍がやってくるなどの一般的な理由を挙げる。若年層の間では先行き不透明感から将来の生活や仕事のことで不安があるらしい。
 でも、だからどうするのかと重ねて聞くと「仕方がない」との答えが返ってくる。
「中国に返還されても香港は経済的に発展していくだろうし、生活レベルも変わらないだろうからそれほどの不安はない」と香港の中文新聞の政治部記者メイ・タンは言う。「確かに民主主義や人権問題に関しては制限が多くなるだろう。それでも、基本法で表現の自由などは保証されているから、中国政府が明らかな弾圧を加えたら、国際社会が黙っていないと期待したい。もし、香港返還後、自由が制約されて最悪の状態になったとしても今日の中国国内ほどには至らないと思う。」正直言うと中国政府がどのように自由を制約してくるかに興味があるとメイは言う。

<報道の自由は守られるのか>

 返還を前に表現の自由とメディアの自主規制が折りにつけ話題に挙がるが、メイが働く新聞「明報」も最近傾向が変わってきた。
 「以前もそれほど反中国だったわけではない。それでも、悪いことは悪いと批判してきた。なのに最近、例えば王丹の件でも他紙は中国政府をかなり非難していたのに、明報の社説はすごく穏やかな指摘にとどまっていた。」さらに、記事の見出しが最近中国寄りになってきているという。
 以前ホンコンスタンダードで中国関連の記事を担当していたアップル・ワンも退社する時、つぶやいた。「社内で中国政府を気にした自主規制が始まっている。今後中国関連の記者をするのは大変かもしれない。以前ハリー・ウーを電話取材したときも親がすごく心配していた。」
 香港では元々報道のレベルが低い。ジャーナリズムの趣旨を学んだことがない大卒や高卒の新人が入社してすぐに署名記事を書き始め、ひどいところでは数ヶ月単位で記者が出入りする。さらに、中国国内でも商売を拡張したい事業者が新聞社を保有していたりすると、経営陣から編集部への圧力が加わりやすい。このような香港の新聞が返還後も記者精神を固守できるのか。歯に衣を着せない中国批判から脚光を浴びて昨年デビューした中文紙も、最近事件記事ばかりを強調するようになったと感じるのは私だけだろうか。

<人種構成の変化>

 香港の街中で北京語を耳にする。ふと振り返ると、以前はちょっと気取った身なりの大陸出身者を目にしたように覚えている。しかし、最近は周囲の香港人と変わらないごく普通の身なりをした人たちがきれいな北京語で話しているのを目にするようになった。
 英国植民地から中国政権下への返還を前に、ここ十数年間に香港社会の人種構成が変わってきた。以前は中国人が圧倒的に多く、部分的にイギリスかアメリカからの外国人がいたという。しかし、返還決定が下された80年代後半から香港社会が多国籍化した。話を聞くと、まず、返還を恐れて海外に流出した人材を補充するために多種多様な外国人が香港にやってきた。ヨーロッパやオーストラリアから香港で職を求めて人が流入し、その他シンガポールやタイなど東南アジア諸国からの人も多くなったそうだ。
 同時に国際金融センターに向かって香港社会が急激に経済発展し人々の生活水準が向上したことも以前とは異なる人種を呼び寄せた。急激な経済成長に労働力が不足して香港女性も社会に出て働くことが奨励されたため、80年代から家事を受け持つ家事手伝いの仕事にフィリピン、タイ、インドネシアなどの東南アジア諸国から多数の女性が流入。また、90年代に入って大学受入枠を一気に拡大したことで、大量の教員が海外から募集された。現在、香港で生活する日本人は2万人を超え、フィリピン人においては14万人に及ぶ。
 その間、中国大陸からも人は流れ込み続けていた。

<中国大陸からの移民の流入>

 最近、新移民という言葉をよく目にする。新移民とは永久滞在身分を獲得するための7年間滞在をまだ満たしていない中国からの移民のこと、と香港人民入境事務処の広報官エリック・チャンさんは定義した。
 チャンさんによると、1980年まで中国から香港への密入はかなり多く、当時は国境で密入国が発覚した場合は中国に送還されたが、密入国者が市街地まで無事たどりつければ香港の滞在許可が取れるという奇妙なタッチベイス方式が取られていた。当時は香港も安い労働者を必要としていたからという。しかし密入者の増大に音を上げた香港政庁と中国政府が競合して中国から毎日75名を受け入れるという合法的な受け入れ枠を設けたのが1982年。それ以降は中国側で選ばれ移民を目的とした一方通行許可を持たない者は全て摘発されたら送還されることになった。
 受入枠は1993年に毎日105名、1995年7月に150名に増加。増員分は中国大陸に住む香港永住居民の配偶者と子供たちに優先的に与えられる。これは基本法の下では香港居住権利をもつ香港永住居民の子供たちが1997年7月の香港返還とともに大挙してなだれ込むのを防ごうと始められた。このような子供たちは中国大陸に75,000名いると推定されている。香港政府はこのような子供たちを今から徐々に受け入れて、遅くとも返還後15ヶ月以内に受入を完了させる予定だ、とチャン氏はいう。
 この計算では現在一年に54,000名あまりの中国人が合法的に香港に移民していることになる。しかし、香港に来た後の新移民たちの生活は甘くない。

 啓徳空港に向かって飛行機が急降下するとき、目下に古い町並みが見える。土瓜湾や九龍城などの旧市街地に大陸からやってきた新移民が多く住み着いている。社会福祉活動を担当するカリタス・グループのスタッフによると、まともな住宅に手が届かない移民の多くが老朽建築の狭苦しい部屋に数世帯で住んでいたり、ビル屋上に非合法に建て増しされた「天台」といわれる小屋にひしめき合ったりしている。飛行場近くのこれらの旧市街地は空港移転後の再開発が進められており、不動産開発業者が老朽ビルを取り壊して高層ビルに立て替える度に、高い家賃を払えない移民たちが追い出されていくという。増え続ける低所得層の新移民に住居を確保することは政庁にとっても頭が痛い問題だ。

 新移民の半数が15歳以下の子どもであることは、香港教育界に大きな問題を突きつけている。学校の教室数が足りないため、小学校を午前と午後の部に分けたり、中学校に浮遊教室をもうけたり、と、ただでさえ飽和状態の香港の学校にさらに児童・生徒が増えたことだけでも大変だが、問題はそれだけではない。新移民の子どもには香港で使われている広東語を話せない児童も多い。イギリス植民地の香港では幼稚園や小学校から英語を勉強し始めるが、中国では一般的に中学校から英語を勉強し始める。教育カリキュラムが異なるだけでなく、服装・習慣の違い、大陸出身者に対する偏見などが新移民の子どもを傷つけ社会問題になっている。
 今年11月には福建省から香港に来て3年になる12歳の新移民の少女が置き手紙を残して水死体で見つかった。自宅近所の小学校に入学して新しい環境や香港での教育水準に追いつこうと努力したにも関わらず、成績が伸びなかったり制服が不潔だと注意されたりしたことが自殺の原因だと言われている。元は同じ中国人でありながら、香港人による大陸出身者に対する偏見は少なくはない。

<新しい市民の育成>

 香港の教育界では中国主権下の香港における市民を育成するため、準備が着々と進められている。1996年に公民教育の指導要領が改訂され、中国政権下香港特別行政区での市民としてのアイデンティティーが強調されている。もともと歴史的関心が薄かった香港において近年、歴史教育のあり方が見直され、香港史がようやく独立した形で学ばれるようになりつつある。
 さらに、子供たちの将来を考えて、各校で北京語のクラスは年々増え続けている。英語での授業を中心にした学校でも広東語での授業を中心にした学校でも、北京語が段階的にカリキュラムに組み込まれ、今まで北京語を勉強してこなかった大学生や社会人も今後必要のため、夜学にいったり独自で勉強したりしている。

<最後に>

 アジアに取り残されたイギリス植民地の香港。外から内から人が行き来する中で急激に経済成長したため、いびつな社会が出来上がってしまった。頼れる基盤のない歪んだ空間の中で、他人に打ち勝ち生き抜こうとする短期思考の人間を多く生み出してきたように思う。それでも経済発展によって香港人としての自覚と誇りが生まれようとしていた矢先の中国返還だった。
 社会運動にかなり関わってきた香港人が話してくれたことがある。香港では植民地であるがゆえに多くの問題が押し付けられた。たとえ、共産党政権であったとしても、ある国家の一部となるほうが香港の人たちにとっては良いことかもしれない、と。


地域の自立 | Rural development
都市農園 | 有機菜園のススメ | 土をつくる | 小さな農場 | バイオ燃料 | 太陽熱コンロ
森と土と水と | 世界の種子 | Appropriate technology | Project vehicles

日本語トップ | ホームページ(英語) | メディア掲載とコメント集 | 手づくり企画の紹介
プロジェクト | インターネット | 教育企画 | サイトマップ | メールを出す

教育・啓蒙を目的とし(商業活動を除く)、出典事項を明記した部分的コピーやリンクはご自由にどうぞ。ただし第三者による情報の独占を防ぐため、別途明記されていない限りこのサイト上のオリジナル素材の著作権は下の著者が所有します。サイト上の情報は各個人の自己責任のもと活用して下さい。
(c) Keith Addison and Midori Hiraga
手づくり企画「ジャーニー・トゥ・フォーエバー」<http://journeytoforever.org/jp/>

ジャーニー・トゥ・フォーエバーを応援してください!
今後ともプロジェクトを進めていくためにご支援いただけましたら幸いです。ありがとうございました。